●MACの世界へ一石! 1990年頃  1990年6月19日 日経産業新聞記事あり  アップルII・マッキントッシュ・SEと徐々にMACの完成度が高まった頃 台湾の友人が、互換機ラップトップ型の開発に成功しました。 私は、この商品を日本で販売することとしたのです。 話題になりましたが、高額の為、ビジネスレベルまでにはなりませんでした。 *同時に起こった事 台湾の友人企業では、この時点でマッキントッシュ互換機を 開発していました。設計者はMACの特許を完全クリアーしていると自身満々でした。 私は、この互換機には不安を持っていました。 なぜなら、アップル社が、容認する訳がないと考えたからです。 そして、予想は的中しました。 私が台湾のその企業にいた時に、事件は起こったのです。 事務所でくつろいでいると、突然台湾の警察官数名とアップル社の弁護士と名乗る アメリカ人が入ってきました。 そして、その場で家宅捜査が始まったのです。 あっけにとられた私は、ただじっとその作業を見つめていました。 そのアメリカ人が私を睨む視線を感じました。 私が結託した日本人にでも見えたと思います。 後日、友人企業は訴えられたのですが、そこで不思議なことが起こりました。 当たり前かもしれませんが、その家宅捜査に同行した弁護士は 台湾での弁護士権限はなく、勇み足であり裁判で指摘される事となったのです。 結局裁判は友人企業が勝利したのですが、ベンチャーの悲しさと 言うか、この企業は体力的には参ったようです。 その後彼らはMAC互換機の製造を止めてしまいました。 未だMACは、数社に対する互換機を認めるだけで、IBMのような互換機路線は とっていません。(今はWINDOWS-PCが、世界中にありますね)