●ダイアルQ2用コンピュータの開発  1990年12月12日 1991年7月18日 日経産業新聞記事あり  記憶にある方もあると思いますが、「ダイアルQ2」用のシステムです。 記事は1990年12月になっていますが、実はその年の初めには、完成していたシステムです。 「アメリカのダイヤル900流行の兆し」と言う情報を私が得たのは1989年のことでした。 その時、私はシステムの構造アイデアが驚くべき速さで生まれたことを記憶しています。 誰かと誰かがランダムな電話をかけると偶然繋がる。これがツーショット・ダイアルです。 私のアイデアは、その片方側にIDを入れることでした。 IDを入力して入って来た側は、自分がどれだけ話したかLOGに記録されるのです。 マイアミにある電話回線用ボードを手に入れた私は、すぐに設計に取りかかりました。 システムの開発時間は、2ヶ月でした。 販売先は、私が過去に知る企業体とは異なることを理解して、友人のゲーム業界企業に 一任することとしました。 問題は後で起こった! 24時間使用されるこのシステムは、耐久性が重要です。 そこでシステム完成後、私は何日か電源を入れっぱなしにしておいたのです。 システムは、無事に動作していました。 問題は、出荷後現場で起こりました。 突然、ソフトウエアがフリーズするのです。 日本製のDOS/Vパソコンを使用して、より耐久性を増した設計をしたにも関わらずです。 長いトラブル対応の末、やっとシステムは、安定動作するようになりました。 原因は日本製のDOS/Vパソコンにあったのです。 日本では、長い間NECのPC9800パソコンが主流だったのですが、これは世界標準とは まったく違うNEC独自のパソコンでした。 その為に、日本にDOS/V機が普及したのは、世界のDOS/V機が出回ってから、8年後 になってしまいました。 そして標準機ではないDOS/V機が日本製品に多く存在することとなったのです。 みかけはDOS/V機、しかしバスの細かいタイミングは違っていたのです。 それで頻繁に電話すると、ハードのタイミングが取れなくなりフリーズを起こしてしまったのです。 海外製のDOS/V機を使用する事で問題は一気に解決しました。 それからは安定した製造が続きました。受注増えるばかりでした。 私はその時ふっと感じたのです。 このシステムは、長くは続かない。規制の対象になるかもしれないと。 そこで売れているにも関わらず、私は製造数量をどんどん少なくして行ったのです。 案の定、ダイヤルQ2の「ツーショット・ダイアル」は、禁止となりました。 この禁止になったときの私の在庫は0台でした。 そして、その時点までで、新しく開発していたシステムが1990年12月から1991年の 一連の新聞記事なのです。 新しいシステム(新聞掲載分)は、電話による自動応答の音声システムとなりました。 そしてTV放送番組の予告編などに活躍したのです。